<前回のあらすじ>
伊是名島で生まれ、女性にもてたことからやっかみを受け、伊是名島を脱出した金丸。対岸の沖縄島の北部宜名真・ぎなまへと逃れ島の人の手伝いをして暮らしますが、そこでもよそ者の金丸たちがたくわえをもてたことから「金丸たちは俺たちの米を盗んでいるに違いない」と疑われ、命が危なくなりました。
その時に金丸の人柄と才能をよく知っていた奥間鍛冶屋・ウクマカンジャーという人物により、山中の洞窟に匿われます。犬付屋取・インチキヤードゥイというそうですね。しかし、いつまでもそこに隠れているわけにもいかず、奥間鍛冶屋のすすめで、南へと向かいます。
目次
話をすすめる前に周辺観光!
<石林山公園:沖縄でも有数のパワースポット>
2億年前の岩石が作り出す不思議な空間、そこに生育する植物や琉球の国造り神話の聖地などがあります。
ガイドつきのスピリチュアルツアーは説明に説得力がありおすすめです!
岩の間をくぐり三回繰り返すと生まれ変わるという場所
気根・支柱根がすばらしいガジュマル。精霊の住処です。
遠くから見ると仏の横顔に見えます。目にあたる部分が石林山公園あたりです。
<戻る道:人々の努力により開通した道>
人一人がが通るのがやっとの道幅しかなく、断崖絶壁の縁を岩の裂け目に打ち込んだ
杭や木の根をたよりに通る危険な道で、途中で人と出会うと、後から来た人が道を
戻らなければならなかったことから「もどる道」と呼ばれていた。
1912(大正元)年、辺戸尋常小学校校長に就任した当山正堅・とうやませいけんが
「もどる道」の道を通りやすい道にしようと立ち上がり、村人をまとめこの道を開削した。
戻る道の琉歌碑
ハルヌウリヌブイ アンクリサアムヌ ミチアキティタボリ ワウシュガナシ
![](https://xn--54qr8d296ae7apz5c26p.com/wp-content/uploads/2017/02/29fbcb6fa9b7cb00321bc613ea753a1a-1.jpg)
(畑への往復はとても苦しく大変です。道を開いて下さい国王様)
開通した時の喜びの琉歌 作 当山正堅
ムドゥルミチアキティ ユガフユニンカティ ウサカイユミソリ クヮンマガマディン
![](https://xn--54qr8d296ae7apz5c26p.com/wp-content/uploads/2017/02/29fbcb6fa9b7cb00321bc613ea753a1a-1.jpg)
(戻る道が開通して豊かな世の中に向かい 子孫の代まで栄えて下さい)
次は絶景ポイント・・・
<茅打ちバンタ:断崖から見る海の迫力>
茅を束ねて落とすと吹き上げる風でバラバラになることからこの名がついたと言われる断崖絶壁の景勝地。
次はグルメ
波止場食堂
国頭村辺士名の漁港の近くにある店です。メガ盛りのかつ丼、ランチがすごい!
かつ丼
ランチ
波止場食堂 国頭村辺士名186
JALプライベートリゾートオクマ
続いてはホテルのランチバイキング!
JALプライベートリゾートオクマ 国頭村字奥間913
では散歩にもどりましょうか・・・
もて男にあやかろう! 名護市汀間・てぃーま
金丸の掘った井戸
奥間鍛冶屋のすすめで南へ向かった「金丸」ここでももてぶりを発揮しました。
名護市の汀間・てぃ-まで現地の女性と仲良くなり、しばらく滞在します。
そこで金丸は女性たちが遠くの川まで水を汲みに行っているのを気の毒に思い、井戸を掘り当てます。
「金丸井戸・カニマルガー」といい現在も残っているんですよ。
井戸を掘り当てる技術を持っていたところをみると金丸がイケメンなだけではなく、特殊な技術を持っていたと考えられますね。
そして、現地の女性との間に子供もできます。
しかし、大望をもった金丸さらに南へと進んだのでした。
ところで、汀間の女性との間にできた子供はどうなったのでしょうか?
実は金丸が王位について後、役人を派遣して迎えにやらせたのですが、現地の役人が「罰せらると」勘違いして、「金丸様の妻も子も死にました」と報告したそうです。
ですから、歴史には登場しませんが、汀間には金丸の子孫がいまでもいるということですよ。
金丸の滞在した屋敷跡?
100年以上の歴史を持つ食べ物
汀間には「春おばぁのなんとぅ」ということで100年以上の歴史を持つ伝統の餅の店がありますよ。
そこのお姉さま(笑)に話を聞いてみてくださいね。
春おばあのなんとぅ 名護市汀間371
運命の出会い!
汀間を後にした金丸。越来間切・ごえくまぎり(現在の沖縄市)まで来た時に運命を変える人物と出会います。
後の第6代国王、越来王子「尚泰久・しょうたいきゅう(1415~60年)」です。
彼は金丸の才能を見出し、首里の国王へ使えるようにすすめます。
尚泰久王が青年時代を過ごした越来城跡
越来城跡から沖縄市の市街地を望む
尚泰久王の側室「世利休」の屋敷跡とお手植えの白椿(二代目)
越来城周辺にはいろいろな物語がありますが、それは又別の機会に!
かくして金丸は首里へと向かいますが、途中西原の内間である女性と出会います。
これを話したくてここまでひっぱりました!
王につかえるべく首里に向かう金丸、途中西原間切の内間で休憩。
食事の準備のため火をおこします。その煙を見て、内間ノロがそこへ向かい金丸と
出会い話をするうちに金丸に一目ぼれをし、歌をよみます。
ククルイサミユル イトゥインヌタバク チュフチフチミソリ グインムシバ
![](https://xn--54qr8d296ae7apz5c26p.com/wp-content/uploads/2017/05/188e06bb03fac83302d6ec46b38c0547.jpg)
(どうぞ煙草を吸って下さい。これは恋心を熱くするものです。糸のように美しい縁を結びましょう)
というものです。
二人が出会ったという「ナコモー」という場所は縁結びの場所として知られています。
これぞ究極の惚れられかた!
金丸にべた惚れした「内間ノロ」でしたが、金丸が首里へと旅立つことになり、別れの時がやってきました。
金丸と別れたくない内間ノロはこんな歌をよみます
アカンナマヂミヤ ヤディドゥワカリユル ヤマディワカリユミ サトゥトゥワミトゥ
![](https://xn--54qr8d296ae7apz5c26p.com/wp-content/uploads/2017/05/188e06bb03fac83302d6ec46b38c0547.jpg)
(生爪をはがすと痛いように あなたと分かれるのに(生爪をはがすほど)心がいたまないはずがありますか)
はっしぇ!男として生まれたらこれぐらいほれられてみたいですね!
物語の舞台「カヤブチ御殿」西原町内間
さてこの後金丸と内間ノロはどうなったのでしょうか?
後に金丸は内間の地頭(領主)となり、そこに住みます。
その時に内間ノロと結ばれたのでしょうか? 歴史は語っていません。
金丸が住んでいた内間御殿
このあと金丸は首里に上り、才能を発揮、尚泰久が王になると大出世をします!
それはPARTⅢをお楽しみに!