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イケメン国王とは誰?
約400年間琉球をおさめていた「尚円王統(第二尚氏王統)」の始祖金丸(尚円王)(1415年~1476年)。
才知にあふれ、女性たちにもてたため、やっかみをうけ、島を追い出されますが、持ち前の才知で信頼を得て、最後は国王になります。
その過程で移動した各地で恋物語りが残っています。
歌や伝説をもとに彼の人生を追ってみましょう。「金丸ラブストーリー」始まりです!
スタートは伊是名島!
伊是名島は沖縄本島の北西にある島で、琉球国王の生誕地として知られています。
金丸(尚円王)は1415年沖縄島の北西に浮かぶ伊是名島・いぜなじまで生まれます。
成長するにつれ才能を発揮、「西の松金」と呼ばれ、島女性たちから大もてでした。
<伊是名島に立つ金丸を歌った歌の歌碑>
「北の松金が 短ちゃ御衣召しょち おじゃんなし振りや 拝み欲しゃぬ
ニシヌマツガニガ ンチャンスミショチ ウジャナナシブリヤ ウガミブシャヌ
(北の松金が 短い着物を召されている 温厚な姿を拝みたいもんだ)
この碑のたっている場所の近くに「逆田・さかだ」という金丸のもてもてぶりを示すエピソードの場所があります。
エピソード1 逆田の話
ある干ばつの年、ほとんどの他が干からびているのに、他より高い所にある金丸のたんぼだけは水がありました。
そこで、「水泥棒」の疑いをかけられ、それではと、下の田へ水を流します。
ところが翌日金丸の田には水があるのです。そこで、また下へ水を流します。
怪しんだ村人が夜見張っていると、村の女性が桶に水を入れ、金丸の田に水を入れているではありませんか!
怒った村人は金丸をいましめてやろうとします。
それを神のおつげにより知った金丸、いち早く島を逃れ、対岸の宜名真へと着きました。
後にこの金丸の田は高い所にあるのに水があるということで、「逆田・さかだ」と呼ばれたそうです。
命の恩人と出会い、再び旅へ!
<伊是名を逃れた金丸がついた宜名真集落と漁港・金丸を祀る宜名真御殿・ぎなまうどぅん>
妻と弟とともに宜名真に逃れた金丸。農業の手伝いをしながら生計をたてます。
が、土地をもたない金丸がたくわえを持ち始めると、宜名真の人に疑われ命が危なくなります。
そこを金丸の才能を見抜いた「奥間鍛冶屋・ウクマカンジャー」により助けられ、
与那覇岳山中の犬付屋取・インチキヤードゥイという山の中の洞窟にかくまわれます。
<金丸を助けた奥間鍛冶屋の屋敷>
<奥間鍛冶屋の屋敷近くにある祠と鍛冶の道具>
しかし、いつまでもそうしているわけにはいかず、奥間鍛冶屋のすすめで、
南へと向かいます。
エピソード2 沖縄の目出度い席で必ず踊られるものとは?
沖縄のめでたい祝いの席で、必ずといっていいほど踊られる踊りに「かぎやで風・かじゃでいふう」というのがあります。王様の御前で披露される「御前風・ぐじんふう」の最初に踊られるものです。歌詞は
蕾で居る花の 露行逢たごと」
キユヌフクラシャヤ ナウニジャナタティル
チブディウルハナヌ チユイチャタグトゥ
(今日の嬉しさを何にたとえることができようか、蕾の花が朝露に出逢い勢い良く開花したような嬉しさだ)
王の即位にまつわる物語が伝わっていますが、こちらでは、金丸の物語にまつわる由来を紹介します。
<名護市川上の豊年祭で演じられた「かぎやで風」>
「奥間鍛冶屋・ウクマカンジャー」に助けられた金丸。
王になってから奥間に恩返しをしょうと
奥間の長男を国頭の総地頭(地方領主)にしようとしたが、長男は鍛冶屋をつぐと断ったため、
次男「正胤・せいいん」が地頭になった。
その思いがけぬ喜びを歌にしたのが、
かぎやで風のつくり べたとつきやす」]
アタガフヌチチュシ イミヤチョンンダン
カジャディフヌチクイ ビタトウチチュシ
(大きな果報(喜び)が得られようとは、夢にも見ないことだ。
鍛冶屋でいろいろな物を作ってきたから、そのおかげで大きな喜びが身にぴったりとついた)
今踊りに使われている歌詞とはだいぶ違いますね。
<奥間鍛冶屋の子孫の家の前にたつ歌碑>
ちょっと一休みして近くの道の駅ゆいゆい国頭へ・・・
沖縄本島北部(山原・やんばる)の物産特に国頭村の物産を
販売しています。
山原の動物を展示したコーナーもあるので、休憩がてら寄ってみては?
イノシシと豚のハーフ「イノブタ」を使ったそばなどがありますよ!
国王の恋物語続きは次回!