守礼門には扉がありません。それはなぜでしょうか?
中国の牌楼建築をまねているからです。でもそれ以外琉球の人々の思いが込められていますよ。
その答えは琉歌とかつての門の名称にあります。
「上下の鳥居 関の戸ん立たん 治まとる御世の しるしさらめ」
意味:守礼門と中山門には人の出入りを拒む扉がない。これは世の中が平和に治まっているしるしせある。
世の中が平和だから人の出入りを拒む扉がないということなんですね。
また、守礼門は以前、「待賢門・たいけんもん」(賢人を待つ門)と呼ばれていました。
これと先の琉歌を合わせると、国を武力でなく、文化の力で治めようとした琉球人の心を表していたと考えられますね。
目次
守礼門ここを見ないとわからない
守礼門は、首里城第二の坊門(街中の道路にたてられている門)です。
「上の綾門(イーヌアイジョー)」や「上の鳥居(イーヌトリー)」と呼ばれ、16世紀中ごろにつくられました。
守礼門の額
当初は「首里」の額を掲げ、「待賢門(たいけんもん)」と呼ばれていました。
「守禮之邦」の額は、尚永王代(1573~88年)によって、「冊封使(さっぽうし)」を迎えるために作られました。
※「冊封使」は、中国から琉球国王を承認するために琉球に来る使節団です。
始めの頃は、いつもは「首里」の額を掲げ、冊封使が来たときだけ「守禮之邦」を掛けていました。
その後、尚質王代(1629~65年)の頃からいつも掛けるようになりました。
守礼門の建築様式-どこが中国?どこが日本?琉球オリジナルは?
守礼門は、中国・日本・琉球の建築方法をミックスして造られています。
中国との比較
中国では三間牌楼(さんけんはいろう)といって、孔子を祀る「孔子廟」などの前に建てられています。
扉のない形式の門です。
日本との比較
メインの柱の横に「稚児柱・ちごばしら」という補助の柱がついています。
これは厳島神社の大鳥居にも見られます。
琉球オリジナル
中国の三間牌楼は二段目の屋根が右と左についていますが、守礼門は一つにつながっています。
琉球の知恵
台風の多い沖縄。しかし守礼門は台風で倒れたという話は聞いたことがありません。
その秘密は柱の両脇の石にある。二つの石で柱をしっかり固定しているのです。
さらにこの石は地面に埋められているので、ちょっとやそっとでは柱が倒れないのです。
使い分け
守礼門には三つの入口がある。真ん中はお客様用、右左はそれ以外の人という使いわけがあったそうです。